2011年 10月 30日
田舎モダン研究序説 |
これからお休みになる方も、これからお目覚めになる方も、おはようございます。
栗山匙太郎です。いやぁ杉崎美香さんじゃなくてごめんね。
これから田舎モダンのことで、少しばかり理屈をこねてみたいと思いますので、理屈っぽいこと嫌いだとか、難しいこと分かんないという方は、どうぞご遠慮なくオフってください。
とにかくこの『イナモダ・じぇじぇじぇ』をはじめるにあたって、まず『田舎モダンとは何か?』ってことをお話しておかなければ先に進めないわけです。はい。
だから簡単に『たぶんこんなんじゃないかな』ってことをぺこっと書いておきます。
田舎っていうと『あか抜けない』とか『時代遅れ』っていう感じだと思います。まあ当たっていないことはないのですが。
田舎モダンって結局『田舎に取り残されたモダン』ということです。いつの時代もその時代その時代の先端の流行がモダンなわけです。モダンは常に生産され消費されていきます。ですから田舎モダンと呼ばれるモノ達も、ある時代はメジャーだったわけです。
田舎モダンってはじめから『田舎向けに作られたマイナーなモノ』であったわけではないのです。大都会の方が消費の回転が早く、先端モダンが消えていくのも早いのですが、田舎ではそれほどすぐに捨てられるわけではありませんから、田舎モダンの生存率は高いのです。
田舎モダンの中には昭和レトロも、かのみうらじゅん先生命名の『いやげ物』も含まれますが、多くは各家庭の食器棚の奥深くに眠っているものが主流です。
まあ初回はこんなところです。次回からは具体的に田舎モダンものの面白さについて考察していきたいと思います。
栗山匙太郎
by inamoda_jjj
| 2011-10-30 06:03
| 田舎モダンの理屈っこ